神力寺

人生の始末(しまつ)2018.11.04

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 人生の始末(しまつ)

                                        神力寺 亀山環舜

「暑さ寒さも彼岸まで」という様に彼岸を境にぐっと涼しくなってきました。皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
我が家では、第5子・和朋くんが十ヶ月を迎え、這ってどこでも行くし、捕まり立ちもする。行動範囲が広がって目が離せなくなっています。それと同時に病気にも罹るようになってきました。つい先日も突発性発疹で41℃の熱が出て右往左往しました。親は心配しますね。
この子は人生を歩み始めたばかり、これから人生百年あまり過ごすと言われおります。長いですね。しかし、始まりがあれば終わりがあります。人生の終焉。死は遅かれ速かれいずれ訪れます。ひと昔まえまでは大家族だったため、老後の心配をすることがありませんでした。今は核家族、「終活」といって人生のあと始末を考えている方が結構いらっしゃいます。
「始末」という字を広辞苑でひくと①はじまりとおわり。始終。首尾②事の次第。事情。特に、よくない結果。傾城禁短気③きまりをつけること。整理をすること。しめくくり。処理。④浪費せず、つつましいこと。倹約。と出てきます。人生のあと始末というのですから、②整理をすること、しめくくりです。
人生の始末を考えることは大切であると日蓮聖人にも『妙法尼御前御返事』という御文章に

    日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気(いき)は入る気を待つ事なし。風の前の露、なお譬えにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習いなり。されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。

死を考えておくことが、他のことよりも最も大切であると伝えられています。それは年の若い人も年をとっている人も関係が無いのだと強調しています。
どうしても自分の事になると考えたくないのか「私はまだ大丈夫」という変な過信をもってしまいがちです。事実、私もそう思っていました。
最近、三十三才という若さで亡くなった女性のお葬儀を勤めさせて頂きました。卵巣ガンと分かってから5年、全身に転移してお亡くなりました。旦那様と小学生1年生と4年生の男の子が残されました。きっと心残りがあったのではと思いました。また、先日、同窓会の連絡網で同級生が病気で亡くなったという知らせを受けました。病名は聞いていませんが、きっとガンなのでしょう。また、身近な方が胃ガンとわかり全摘出手術を受けられたとお聞きしました。そんな話を最近よく聞くとこれは他人事ではないのだと感じました。
今、私が死んで心残りがあるとすれば、家族の事、お寺の事。妻と子供5人の事を考えると生活出来ていけるだろうかと不安になりますし、お寺の事もお檀家さんが大切に守ってきたお寺を存続していけるだろうかとも思います。
家族の事は取りあえず最低限、子供が成人するまでの収入保障の保険はかけました。お寺の事は何から手をつけていいのかわかりませんが、神力寺に入寺してから17年間、買いそろえたものや使わなくなったものがかなりある様に感じます。自分一人ではなかなか整理ができないので妻に手伝ってもらいなら、ぼつぼつ整理しています。その中で気がついたことは、物を整理することは心を整理することに繋がっているように感じました。
死を考えることは縁起でも無いと忌み嫌うかも知れませんが、死を考える事は生を輝かせる事に繋がると思います。
「死を思え」ラテン語で「メメント・モリ」というそうです。死を思いより良く生きて生きましょう。

 生を輝かせて生きましょう。

                                          南無妙法蓮華経

(神力寺便り64号より)