神力寺

損から入って一生懸命やろう!2016.7.31

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損から入って一生懸命やろう!

神力寺 亀山環舜
 今年の梅雨は激しい豪雨に見舞われました。大分県は被害は少なかったみたいですが、長崎や鹿児島では結構被害が出たようです。その梅雨も明けようとしています。日差しが痛い今日この頃です。檀信徒の皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
先日、大分合同新聞の夕刊のコラムで「日本の民主主義は」と題して三人の知識人が民主主義について語っていました。その中で京都大名誉教授・佐伯啓思さんが現代の日本人は価値感が多様化している。公共精神を失い、私利私欲に堕した民意に全て応えることは不可能であると語っていました。私も含めどこかで自分の都合の良いことばかりして「○○する権利がある」と主張し、悪いことは人にせいにばかりしているような人が増えているのかもしれないと感じました。
少し昔は「若いときの苦労は買ってでもしろ」「損して得取れ」「情けは人の為ならず」などいっていましたが、昨今は死語のようになってきました。そんな折、萩本欽一さんの『ダメなときほど運はたまる』という本を読みました。その中で
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 幸せになりたいと思うなら進んで損をしたほうがいいの。人とつき合うときは率先して損な役回りをするとだれかが幸運を持ってきてくれます。自分のために損をしてくれた人がいたら嬉しくなるでしょ。だから人間関係が円滑になるし一緒に仕事をするときも信頼関係が早く結べるんです。
かといってなにか見返りを求めて損をしたり相手にとって、負担になるような極端なことをしちゃダメ。このあたりはバランスを考えて行動しないと運にならない。
僕の場合、なにか事を興(おこ)すときは必ず損から入ります。これを覚えたのは、高校時代でした。
高校の三年間はいくつものアルバイトをしてたんですがいちばん嬉しい思いをしたのは京橋の洋食屋さん。何が嬉しいかって食べ物屋さんですから食材があまると、アルバイトにも食事を出してくれたんです。
ここでアルバイトをしたのは高校二年の夏休み。僕と同時にあと二人学生が雇われたんですが女主人はまず僕を見てこう聞きました。
「仕事は3つあるの。キャベツを切ったりカツを揚げる仕事、配達、皿洗い。どれにする?」
迷わず言いましたよ。
「僕、皿洗いにします」
ほんとはカツを揚げたかったけど誰でもこれを選びそうでしょ。だからあとの二人と険悪にならないよう一番人がやりたくない皿洗いを選んだの。店の主人にいいとこ見せようという気持ちもちょっとはありましたけどね。
で、皿洗いを始めたら鍋底がみんな真っ黒。店にあるタワシじゃぜんぜん落ちないの。自分から選んだ仕事だったから、これをどうにか落としてピッカピカにしたくてね。自分で20円出して金属のタワシまで買って、いつもお皿と鍋をきれいにしてました。
このバイトは夏休みいっぱいの約束で、最後の日にバイト仲間3人で帰ろうとしていたら、「萩本君、ちょっと」って店主が奥から僕を呼びとめました。行ってみたら、こう言われたんです。
「萩本君、よかったら卒業するまで、うちで働いてくれないかい?」
ちゃんと僕のこと見ててくれたんだって思いましたね。自分から損したり、一生懸命やってれば、やっぱり誰か見ててくれるんだって、やけに嬉しかったな。自慢話みたいでいやだけど。でも「損から入って一生懸命やろう」ってこのとき思ったのね。
どんなちっちゃなことでも損から入るといいですよ。人のために自分の時間や知恵やお金を使うと「睡眠時間が減る」とか「頭が痛い」「心が痛い」「ふところが寒い」などなど、いろいろな不都合があると思うのね。でも、それぐらいは我慢しちゃうとあとで運になります。損のままで終わる人生ってないんです。
 さすが萩本さん良いこといいますね。苦労されているだけあって言うことが違います。私も含め今の人であれば目先の損得勘定だけで動いてしまいがちです。
相手の気持ちをおもんばかって長い目で考えましょう。蓮は泥の中で成長し、泥に染まらずきれいな花を咲かせます。それと少し違いますがまずは

 損から入って一生懸命にやりましょう。

                                          南無妙法蓮華経
(神力寺便り7月号抜粋)